2009年09月22日

横山祐吉 1905‐1978

横山祐吉
 1905‐1978

 明治38年1月2日生まれ。麻布中学校卒業。東京音楽学校(現東京芸大)中退。社会教育協会事務局にはいります。日本青年館事務局長などをへて、昭和26年日本ユースホステル協会を創立し、理事長、会長を歴任。青年の国際交流につくし、43年第1回「青年の船」団長をつとめました。昭和53年1月28日死去。73歳。

 昭和16年、文部省はすべての青少年団体を解散、大日本青少年団に統合再編成させましたが、戦争激化にともない昭和20年6月、これも解散させられました。戦争が終わった後、各地で再生の胎動をつづけていた青年団活動は、昭和23年再建の第一回全国青年団協議会を開催するに至り、昭和26年には、日本青年団協議会の結成をみました。その立て役者が横山祐吉です。当時、日本青年館の事務局長であった横山祐吉は同年6月、第2代の日本青年団協議会事務局長に就任しました。

 そして昭和26年2月、米国国務省の招きで「アメリカ教育視察団」が訪米しましたが、一行の団長、横山祐吉はアメリカユースホステル協会会長であったロックフェラー3世に合い、ユースホステル運動についていろいろな知識を得て帰国しました。同年9月横山は、日青協第3回理事会において、「ユースホステル運動を推進する件」を提案し承認を得ています。

 その後、日本ユースホステル協会の設立および各支部組織の発足にあたって、日青協関係者の協力によるところが多くあるのは、前述のように横山祐吉と日青協との関係があったからです。また、小金井浴恩舘や、協会設立記念ホステリングの舞台となった、山中湖清渓寮などは青年団ゆかりの建物です。

 昭和26年初夏、横山はこの運動を日本ではじめるべく親友中山正男(当時東光石油社長)に相談したところ、中山は荒廃した日本を再建するのは青少年の健全育成からであるとの信念から賛意を表し、共に運動をはじめることになりました。

 当時、すでに運動に着手していた学生ワンダーフォーゲルの関係者は、このことを知ってさっそく、中山をたずね話し合った結果、相提携してこの運動を推進することになりました。ジャーナリストや政財界に顔のひろい中山は、青年運動の理解者である下中弥三郎(平凡社社長、世界連邦主唱者)をまずこの運動の賛同者として口説きおとしました。その後関係者の努力で短時日のあいだに、次々と幅広い賛同者や理解者は増えてゆき、協会設立の準備は急速にしかも着々と進んでいきました。

 日本において自然への新しい考え方が芽生え近代的な旅行形態が誕生したのは、昭和初期の頃です。旧来の「物見遊山」という言葉に象徴される享楽的な考え方に対し、スポーツ、レクリエーションを中心とした旅行という積極的な考え方が若い人たちを中心に急激に拡がってきました。

 登山、ハイキング、ピクニック、キャンプ、スキーなどの野外活動が新しい感覚をもって諸外国から紹介され、鉄道省の強力なキャンペーンもあって参加人口は急増しました。野や山や海辺には、リュックサックを背負って出かける人たちが多くなり、これらスポーツ、レクリエーションの愛好団体が数多く組織されました。

 また、それぞれの分野の雑誌、機関誌、案内書、技術指導書、紀行図書などが数多く出版されました。このように昭和初期から太平洋戦争に至るまでに、脱都会的な自然復帰運動が非常に盛んになりましたが、戦争がはじまるとそれは次第に消滅するか、国の要請から戦争予備運的なものに変わっていってしまいました。

 ワンダーフォーゲル運動もその一つでした。

 昭和6年(1931)、出口林次郎によってドイツから紹介されたこの運動は、奨健会 W・V部として発展し、最盛期には全国で5万人にも及ぶ会員をもつにいたりました。この運動は学生のあいだにも広まり、昭和12年ごろには各 大学が集まって学生WV連盟を結成しました。第2次大戦中は行軍班などに編制替えされた連盟の活動も中断しましたが、昭和23年(1948)には、全日本学生連盟として復活しました。

 日本に於けるユースホステル運動発足まで 国際交流の面から戦前のユースホステル運動についてみてみますと、昭和11年(1936)はじめてアメリカのユースホステルメンバー約30名が日本を訪れています。この時は賀川豊彦(社会運動家)が中心となり、その受入れの世話をしたといいます。

 昭和13年(1938)には、大日本聯合青年団によって日本とドイツの青少年団の交歓行事が行われました。日本からは30名がドイツ各地を訪問しましたが、現地での宿舎はすべてユースホステル(ユーゲント・ヘルベルグ)を使用したといいます。

 日本ユースホステル協会は、横山祐吉を中心とするメンバーによって作られ昭和48年には全盛期を迎えます。しかし、昭和49年11月の日本ユースホステル協会理事会では、第6代会長の横山祐吉の退任が決定されました。

 横山は、昭和26年協会発足以来23年間の長きにわたって、専務理事、理事長、会長の枢要地位を占めてきました。会員ゼロの時代からユースホステル運動を育ててきた横山が、会長を退任して名誉会長につかざるを得なくなったのは、御本人にとっては無念だったでしょう。

 中山正男と車の両輪の如くコンビを組み、日本のユースホステル運動の発展に献身して来た横山も、その5年前に力と頼む中山を失い、うしろ髪をひかれながら第一線を退いたのでした。

 名誉会長に退いた横山は、執行委貞6年、副会長6年、計12年の長きにわたってつとめた国際ユースホステル連盟の役員も、昭和51年(1976)8月に退き、シルマン基金委員となっていましたが、昭和 53年1月、病を得て73歳で死去しました。
posted by ss at 08:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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